一般論ぶっている人たち

「女って○○だよな」
「男ってほんと、ダメだよね」
「今どきの若いやつらは…」
「オッサンってなんでそうなの?」

今どきSNSを眺めていたら見ない日の方が少ないくらいじゃないでしょうか?ネットを見れば似たような論争が常にされています。

このような発言は、どのように質が悪いのかと言うと、「若者」「オジサン」「男」「女」と、そういった言葉を用いて「一括り」にしているとろです。

「一括り」にすることによって、さも一般論を語っているかのように装うのです。

上記のようなことを言ったことがある人、聞いたことがある人は、良く考えてみてください。恐らくその言葉は「特定の個人」の悪口を言っている可能性が高いです。

なぜこのように一般論化する必要があるのかと言うと、ただただ悪口を言っただけでは共感されづらいし、悪意に満ちた人間だと思われてしまいます。

しかし、一般論を装うことで共感が得られやすく、同じ思考を持った人間を集めやすいのです。冷静に文章に起こしてても思うのですが、とても汚いやり方ですね(笑)

質が悪いのはそれを無意識にやっていることが多い所です。SNSの普及により、思ったことをなんでも簡単に多くの人に見てもらえるようになりました。

自分は安全なとこから好き放題発言することが容易になってしまっています。とても怖い時代になりましたね、しかし、今の人々の大半はそれが「怖いこと」と感じないのです。

「法律さえ守れば何をしてもいい」そんな倫理観の崩壊を私は感じています。

不要な言い争い

因みに、この記事を作成している今現在でのSNSは、「蛙化現象」と言って、「好意を寄せる相手が自分に好意を抱いていることを知った途端にその相手に対して生理的な嫌悪感を抱いてしまう現象」と言うのが逸っています。

「いや、なにそれ…(笑)」って私は苦笑しちゃいました。いろいろな考えがあるので、この内容に関して私個人感想は控えておきますが、世間的にそれに対する反応はとても良くないです。

続けて「支払いの際に財布を見せる男は冷める」などの発言も回っています。

ここでも「女はこれだからぁ!」と声を荒げる人もいますし、「こんな男どもはダサい」と乗っかる人達もいます。

さらにまた一般論化の殴り合いが起きるわけです。

ネット空間は「自由に発信できる場」となっています。良い悪いで言えばただの言葉程度なら何を言っても「問題」にはならないです。

上記のようなパターンは一度発信されてしまえば、もう決着もなにもないです。ただの殴り合いが続きます。

ここで考えるべきは、「人が不快に感じることは発信するべきではない」というマナーが必要になってる、ということです。

これだけに言えることではありませんが、「○○な男は冷める」なんて発言を見たら不快に思う人が一定数いるのは誰が考えてもわかることです。

そもそも、一定数不快に感じる人がいそうな発言はしない、というマナーを考慮できないのが問題なのではないかと思います。

その発言に当てはまっている人が見たら、不快に思って攻撃してきたりするのは普通に考えられることです。これは良い悪いではありません。常識的に考えて、という話です。

「公共の場」という感覚を持ち合わせて欲しい、と私個人は考えています。皆の目に止まる場所で皆の迷惑になることをしないのは言われなくてもわかる当たり前のことです。それが言われてもわからない、という最悪の形で出てきていますね。

まぁ、ある種これもネットの中の一つのコンテンツとして捉えている人が多いです。叩き合い、燃やし、罵声飛び交う見世物です。

コンテンツとして楽しむ人がいる限りなくならないでしょう。そして、その楽しむ人が多くいるので永遠になくならないのかもしれませんね(笑)割り切って楽しめと言われているようです(笑)

上記の件も「自分が許されている空間」での発言であって、全体に言ったことではないです。

しかし、悪意であったり、話題性であったりと、取り上げようとする人たちは多くいます。そのことを踏まえたうえでネット環境を利用できるといいですね。

「ハッキリと言えない」から一般論化する

上記でも触れましたが、叩く人の心理は「一般論化の殴り合い」と「本当は特定の個人の悪口」という点で語れます。

「一般論化」する人は直接争うのが怖いのです。気が弱くハッキリ伝える事が出来ず、正面衝突するのを避ける為に大衆の意見にしたがるのです。

遠回しに嫌味を言ってくる人っていませんか?本人に伝わるように言っている割には、正面から伝えることはしないです。

よほど鈍感でない人でない限り、「これは自分のことを言われているんだな」と察しがつきます。

ここで「私の事を言っているのですか?そうなら「今の若者は」なんて言い方をしないで、もっとはっきり言ってください。」と反撃に出ると

「いや、一般論として言っているのだよ…別に君の事を言っているわけではない」とはぐらかすのです。

嫌がらせだけして逃げ道を残しておきながら人を非難するのです。とてもダサいですよね。

こういう言い方を常日頃からしている人は、自分がいつ誰に対しても「弱い立場」であることを意識せざる得なくなることもあります。

そうなれば、人に面と向かって意見を言えなくなってしまう人になってしまいます。

そんな勇気の欠けた人は逃げ腰のままで、一般論を吐き捨て続ける信頼の得られない悲しい人になることでしょう。

ネットでも同じような立ち回りとしている人は一度考え直してほしいです。間違いなく無意味で、誰からも評価されるようなことではないのですから。

叩く人の心理は全員が持っている

ネットでは常に「粗探し」が行われています。それに見つかった人がSNSに上がってくるわけです。これに関して、探す方が悪いとか、言われる方が悪いとかはありません。

しかし、見つかった人は数の暴力の被害にあうことでしょう。人間とは「勝つこと」「相手を打ち負かすこと」が大好きな生き物です。

晒された内容は一目で勝ち負けの判断ができるでしょう。日頃からSNSを見慣れている現代人ならなおさらです。(一部狂った判断をしている人もいますが…)

確実に勝てる勝負なら喜んで参戦します。簡単に多数派になることができるのですから

「赤信号、皆で渡れば怖くない」とはよく言ったものです。どんなことでも数が多い方が圧勝します。「集団心理」という誰でも持ち合わせている心理ですね。

この感情に基本的には例外はありません。「誹謗中傷している人は愚かだ…」と考えている人も、こんな記事を書いている私も同じ心理が働きます。

「正義と言う名の暴力で弱者を痛めつける」、よく聞くような言葉ですが、皆が持っている感情なのです。

まずは、自分にもそういった心理が働くことを認めて、コントロールできるようにするのが一番かっこよくありませんか?

もし、自分が理不尽な言われ方をした際も、同じ熱量で相手をするのではなく、軽く聞き流せれるようにしたいですね。

相手の心理状態を把握して感情が見えていると、何を言われてもフラットな感情を保ちやすいです。自分の状態も客観視しやすいでしょう。

皆が持っている心理とは言っても、「叩く」という行為は、浅ましく幼稚な行為に他なりません。ネットでもリアルでも、傍から見て恥ずかしくない対応が常にできるようにしましょう。

ネットで叩く人、性別や特徴を一括りにして文句を言う人の心理、心が弱く信頼を得る事ができない人達