最近のネットを見ていると、「論破」という行為が昔より注目を集めています。

漫画とは違って現実で「暴力」という行為は、たとえ正しくても非難の対象となります。それでも人は「悪」に対して、何かしらの制裁を求めてしまうものです。

そこで、暴力を行使することなく、悪を真っ当に近い形で制裁できるのが「論破」となっており、そんな行為に惹かれてしまうのです。

そんな「論破」という行為が何を成すのかを解説していきます。

論破の認識が変わりつつある

正直言って、以前までは「相手を論破する」という行為に特に大した意味は無かったと言えるでしょう。

私達の身近にある「論破」という言葉は、ただ相手を言い負かして気分を良くするだけの行為です。

言い負かしたから相手が制裁を受けるのではなく、改心して謝罪し行動をわきまえることも殆どありません。今もネットで毎日行われいる論破合戦に関してもそこは変わりないでしょう。

なので以前までは、あくまでコンテンツ的なモノが強かったです。

テレビで行われる討論ですら、やったところで対して何もかわりません。見ている人が共感したり、気分よくなるだけです。掲示板の不毛な戦いと大差ありません。

しかし、現代社会では以前より、ネットの世界が人々の生活の一部となりました。子供からお年寄りまで、他人の意見を毎日大量に取り入れています。

その影響により、ネットで「論破する」「論破される」ことに大きな違いが生まれるようになったのです。

もう以前よりは「見て楽しむだけ」では済まなくなりました。

「論破されるだけで何も変わらない」の認識だった人達はかなり少なくなっているでしょう。では、どのように変わっているかを下記項目から説明します。

論破で起こる影響

「論破する」という行為を行うということは「多くの賛同を得る」ということになります。淡々と事実を語るのではなく、相手を納得させる為に様々な方法で口述します。

それを大量の第三者がいる中で行うことによって、「大衆を味方につける」ことができるのです。今を生きている人たちはこの怖さを良く知っているはずでしょう。

上記でも述べましたが今は「ネット社会」です。この何も関係ない「第三者達」が凄まじい影響力を持っています。口コミから特定、影響の仕方はどんな内容であっても変幻自在です。

ネットで居場所を失うと現実世界にも影響しうるのが現代社会です。大企業であれ政治家であれ、ネットで悪い部分が騒がれ始めたら破滅まで追い詰められると言っても大袈裟ではないでしょう。

ネットが始まりで捜査が厳しく入り、破滅を辿った企業を今を生きる人達は多く見てきたはずです。

今は「ネットの立ち回り」なんて言葉ある時代です。隙のある発言から言い負かされれば、怖いくらい第三者達に追い詰めらるなんて日常茶飯事です。

上記を読んで「有名な人ならでしょ?」って考える方もいると思います。確かに有名な方の方が当てはまりますが、だからと言って一般人に関係の無い話ではありません。内容によっては誰でも当てはまることです。

まぁ、論破というより「ネットは時に危ない」と言えるようなことでもありますが、それも口論からなる「論破」からなることが多いということで把握しておきましょう。

論破力の必要性

石丸市長をご存じでしょうか。今では「論破」「討論に強い」というイメージでこの方を想像する人も多いでしょう。

堂々とした態度で、言葉に迷いが無く、高い語彙力で誤魔化すことなく真っすぐ相手に考えを伝えることができます。その影響により、ネットの人々からかなり指示を受けています。

この動画でも場の雰囲気からは「石丸市長が悪い」という感じになっていいますが、相手は口ごもってしまっています。この動画を見て石丸市長が正しくないと思う人は少ないでしょう。

「正しい考え」「真っ当な言葉」「必要な発言」「伝えるべき言動」私達には「相手に伝える力」が求めれています。

この力が無ければ、間違った環境・人の圧に正しさが押しつぶされてしまうでしょう。

石丸市長はこの高い「論破力」により、間違いなく仕事に影響の出るレベルで支持を受けています。いくらこの人が正しい人で合ったとしても、この論破力が無ければここまで支持は受けなかったでしょう。

その人の状況によっては「論破力」というのは人生を変える影響力があると言っても大袈裟ではないのかもしれません。

論破自体に意味は無い

喧嘩 カップル

論破による影響力の話をしましたが、相手を論破すること自体には意味はあまりありません。必ず意味がないわけではないのですが、一対一の会話なら意味のない事が多いです。

あなたが強めの口論となった際に、相手を完全に論破した経験が何回かあると思います。その際に相手は納得し反省し改心などしたパターンはありますでしょうか?

恐らく、論破したことにより解決したパターンは少ないと思います。

上で貼った石丸市長の場合もそうですが、論破された当人達が反省したりすることは今のところないです。

影響力はあれど、論破することによりその場で得られるものは無いのです。人によっては精々少し気が晴れる程度です。

YouTubeでも論破を行っている場面はよく見ますよね?ですが、論破された大概の人は不満そうにして全然反省していないことが多いのではないでしょうか。

恐らく反省しているパターンは口論の前に指摘された時点でもうしおらしくなっています。論破は関係ないです。

気は晴れるかもしれませんが、基本的にただの口論なら時間の無駄になると思った方がいいかもしれません。

論破する仕事は無い

論破する意味が無い理由として、「論破をする仕事は無い」というのが言えます。相手を言い負かすビジネスってありそうな感じがしますけどね。

それを言うなら「弁護士」は相手を言い負かす仕事じゃないのか、と思う方がいると思います。

しかし、弁護士は相手を言い負かすつもりで話はしません。それは普段裁判に関わらない私達が勝手に持っているイメージに過ぎません。

実際の裁判はいわゆる「落とし所」を探り合っているのだそうです。集めた情報を提示し意見を聞く、それをお互い淡々と仕事として繰り返すのみです。

論破しない方がいい

論破といえば「ひろゆき」さんですよね。実はそのひろゆきさんは相手を論破するつもりで話したことは一度もないらいです。

それどころかひろゆきさんとしては「論破なんてしない方がいい」というスタンスらしいです。

上記でも触れましたが、論破したところで得るものはりません。ほんの一瞬気分が良くなるだけです。

ひろゆきさんは、

「嫌われたり恨まれたりしますし、結果的に「相手を思惑どおりに動かす」ことなんて到底できないと思うのです。」(無敵のコミュ術より引用)

とも語っていました。

議論は相手を打ち負かすのではなく、相手の話を聞いて情報を貰い納得することであり、好奇心を持って行っているらしいです。

しかし、そこで話を聞いていて腑に落ちない点を聞いた際に、納得できない返答であったり、矛盾が生じていたり、答えに詰まっているから論破しているように見えるそうです。

相手がしっかりしていれば、何の問題もなく返答を貰え、口論にはならないのです。

勝ち負けにこだわっている人ほど、論破とは程遠いところで争っているのかもしれませんね。